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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)9046号 判決 1968年3月30日

原告

荒井勇

ほか一名

被告

奥村剛一郎

ほか二名

主文

被告奥村、同関口は各自原告らに対し、夫々金二、〇〇〇、〇〇〇円およびこれらに対する昭和四一年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告奥村、同関口に対するその余の請求および被告小杉に対する請求を棄却する。

訴訟費用中原告らと被告奥村、同関口との間に生じたものは同被告らの負担とし、原告らと被告小杉との間に生じたものは原告らの負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分にかぎり、仮りに執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告らに対し夫々金二、一五五、〇〇〇円およびこれらに対する昭和四一年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決と仮執行の宣言とを求め、請求原因および抗弁に対する答弁としてつぎのとおり述べた。

「一、昭和四一年二月三日午後一〇時頃、栃木県小山市大字喜沢二〇〇番地の三付近国道四号線上において、被告関口は普通乗用自動車コロナ(練五ね四六三五号。以下被告車という。)を運転して東京方面から宇都宮方面に向い北進中、同方向に向い先行していた訴外荒井信一(以下被害者という。)の運転する第二種原動機付自転車ホンダカブ(以下二輪車という。)に被告車左前部を接触転倒させ、よつて被害者に後頭部挫創による急性硬膜下出血の傷害を負わせ、同月二一日死亡するに至らせた。

二、被告らはいずれも被告車を自己のために運行の用に供する者であつた。すなわち、被告小杉はその所有者であり、被告奥村は、その賃借人で事故当時被用者の被告関口にこれを運転させていたものであり、被告関口は被告車の所有者であると称しこれを自由に使用していた。

三、右の事故によつて生じた損害額はつぎのとおりである。

(一)  被害者は事故当時一九才一月で、もし事故にあわなければその父である原告勇の経営する農業を引継ぎすくなくとも二五才から五五才までの三〇年間同原告の当時の年間純収益金四五〇、〇〇〇円と同程度の収益をあげることができたはずであつたところ、本件事故による負傷および死亡によりこれを失つた。よつて被害者の予想年間消費支出金一一〇、〇〇〇円を右収益金額から差引いた残金三四〇、〇〇〇円の三〇年分がその失つた純益である。いまその総額をホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して事故当時の一時払額に換算すると金四、〇八〇、〇〇〇円となり、被害者は被告らに対し同額の損害賠償請求権を取得したものであるところ、その死亡により原告らは、その父母として相続をなし、二分の一宛の相続分をもつて右請求権を承継取得した。本訴ではその各金二、〇四〇、〇〇〇円のうち金一、一五五、〇〇〇円宛を主張する。

(二)  被害者は原告らの間に生れた五人の子のうち唯一の男子であつて原告らとともに家業の農業に従事し、その後継者と予定されていた。従つて被害者の死亡により原告らは多大の精神的苦痛を受けた。これに対する慰藉料として原告らはすくなくとも各金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けなければならない。

(三)  なお原告らは被害者の死亡により自賠責保険にもとづき金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けているが、右は原告らが相続した被害者本人が本件事故の結果多大の精神的苦痛を受けたことにより被告らに対し取得した慰藉料請求権に充当されたものであり、仮りにそうでないとすれば、原告らの相続した前述逸失利益による損害賠償請求権のうちの本訴で請求する以外の部分に充当された。

四、よつて被告ら各自に対し、原告らは夫々前項(一)、(二)の合計金二、一五五、〇〇〇円およびこれに対する債権発生後の昭和四一年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五、被告らの抗弁事実中、被害者が事故直前右折しようとしたことは認めるが、その余は否認する。被害者は予め右折の合図をしていたのに拘わらず、被告関口は制限速度時速四〇キロをこえる約八〇キロで進行し、しかも前方注視不十分のため二輪車を避けることができなかつたのである。」

被告らは、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁および抗弁としてつぎのとおり述べた。

「一、請求原因第一項は被告奥村、同関口としては認める。被告小杉としては不知。

二、同第二項中、被告関口が被告車の運行供用者であつたことは認める。被告奥村が事故当時被告車の賃借人で、かつ、その運行供用者であつたとのことは否認する。同被告は必要あるときそのつど被告関口に依頼し賃金を支払い、自己のために被告車を運転させていたに過ぎない。被告小杉が被告車の所有名義人であつたことは認めるが、その所有者であり、また運行供用者であつたとのことは否認する。同被告は被告関口が被告車を買受ける際その依頼により名義を貸与したにとどまり、代金を支払つたわけでもなく、いわんや被告車を使用したことは全くない。

三、同第三項は不知。ただし被告奥村、同関口として原告らが自賠責保険による金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けたことは認める。

四、被告奥村、同関口の抗弁として、過失相殺を主張する。すなわち被害者は事故直前二輪車を運転して道路左端を進行していたのであるが、事故現場付近において右折の合図もせず、また一時停止もせず、右後方の安全を確認しないまま急に右折をしようとして被告車の進路直前へ進出したという過失があり、そのため、被告車を時速四〇キロ位で走行させていた被告関口としてはこれを避けることができずに両車接触に至つたのであつて、仮りに被告らに損害賠償責任があると認められたとしても、その額を定めるにつき、右の被害者の過失を斟酌すべきである。」

〔証拠関係略〕

理由

一、請求原因第一項の事実は原告らと被告奥村、同関口との間において争いがなく、被告関口が被告車の運行供用者であつたことは当該当事者間に争いがない。

二、被告奥村剛一郎、同関口宏、同小杉泰男各本人尋問の結果を総合すると、被告関口は昭和四〇年一〇月頃、当時所有していたいすヾベレツトを被告車に買替えたのであるが、その際売主である東豊トヨペツト販売株式会社のセールスマンの求めにより、月賦代金支払の確保の趣旨でより確実な財産を所有する同被告の友人である被告小杉の名義を借りて契約を結んだのであつて、従つて代金はすべて被告関口において支払い、車も専ら同被告が使用し、被告小杉がこれを使用したり、あるいはその運行によつて利益をえたりしたことはなかつたこと、本件事故当時被告関口は定職を持たず、その知人の被告奥村の営むゴルフ練習機販売の仕事を随時手伝い、その命により、その事業のため被告車を運転し、そのつど賃金を受け取つていたものであり、被告奥村は右のとおり、その事業のため必要のつど被告関口に運転させて被告車を使用し、そのガソリン代や修理代等も負担していたのであり、本件事故も被告奥村が被告関口に被告車を運転させ、これに同乗して東京から宇都宮に赴く途中のできごとであつたこと、がそれぞれ認められる。以上の事実からすれば、被告奥村は事故当時被告車の運行供用者であつたということができるが、被告小杉が被告車の運行供用者であつたと認めるのには十分ではない。

三、よつて被告奥村、同関口は被告車の運行によつて生じた被害者の死亡による損害を賠償する責あるものというべきであるが、過失相殺を主張するので判断する。〔証拠略〕によれば、つぎの事実が認められる。

本件事故現場は東京方面から宇都宮方面に南北に通ずる幅員七・七米アスフアルト舗装、歩車道の区別のない国道四号線上の通称喜沢分岐点であつて、同所から西方小山カントリークラブに通ずる幅員四米砂利道の市道、東方東北本線方面に通ずる幅員四・四米砂利道の市道、西北方壬生方面に通ずる幅員七・六米のアスフアルト舗装の県道の交差する変形五差路である。被害者は事故発生直前二輪車を運転して時速約四〇キロで国道左側端を北進していたのであるが、同交差点において右折して東方へ向う市道へ進行すべく、右折の合図を出し、交差点手前一五米位の地点から次第に右に寄り道路中央部付近に進出した。このとき被告車はその後方約一〇米の国道上にあつて制限速度時速四〇キロをこえる約四五キロ以上で同じく北進し二輪車の右折の合図に気付くことなくこれを追抜く体勢にあつたところ、二輪車が右のように道路中央部に出てきたので、被告車を運転していた被告関口はいそぎブレーキを踏み、ハンドルを右に切つて避けようとしたが間に合わず、被告車左前フエンダー付近を二輪車前輪付近に接触させるに至つた。以上の認定に反し、被害者が右折の合図をしなかつた旨の甲第四、五号証は、甲第六号証、証人斎藤武助、原告荒井勇の各供述に照したやすく信用できず、他にこれを認めるべき証拠はない。

そうとすれば被害者として右折するため予め道路中央に寄る際、約一〇米右後方にすでに被告車が接近していたのであるから、今少し右後方を注意しさえすれば、たやすく被告車の存在およびその動静に気がつき、危険を避ける処置をとることができたであろうと考えられ、この点に若干の過失が存することが認められるけれども、右は前認定の被告関口が交差点にさしかかるに際し制限速度を超過した速度で進行し、かつ被害者のした右折の合図を看過して追抜きをしようとした過失に比するときは小というべく、その相互の割合はおよそ被害者二被告関口八と認めるのが相当である。

よつて被告奥村、同関口の賠償すべき損害額につき、右の被害者の過失を斟酌してこれを算定することとする。

四、(一) 〔証拠略〕によれば、被害者は昭和二二年一月生れ(事故当時一九才)で高校卒業後家業である農業(主として山苗造り)を手伝つていたが、やがて父である原告勇(当時五二才)が隠居後は主となつて家業に専念する予定であつたことおよび同原告の従来税務署に申告した年間純収入は金四五〇、〇〇〇円程度であつたことが認められる。そうとすると被害者がもし本件事故にあわなければ、すくなくとも二五才から五五才までの三〇年間右と同程度の年間純益を挙げたであろうところ、事故にあつて負傷し死亡したためこれを失つたということができる。よつて右金額から被害者の生活費として原告らの自陳より多めに見積つた年間金二〇〇、〇〇〇円を差引き、残金二五〇、〇〇〇円として稼働年数三〇年分につきホフマン式計算法(複式)により年五分の割合による中間利息を控除して被害者の一九才当時の現価を求めると金三、七八〇、〇〇〇円(金一〇、〇〇〇円未満切捨)となり、

{250,000円×(36年の係数20,274-6年の係数5,133)=3,785,250円}

これに前示被害者の過失を斟酌するときは被害者が被告奥村、同関口に対し請求しうべき損害賠償額は金三、〇〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。前出甲第一号証によれば、被害者には子、配偶者は存せず、原告らが父母としてその相続人にあたることが認められるから、被害者死亡により原告らは相続し、各二分の一宛の相続分をもつて被害者の有した右損害賠償請求権を取得したこととなる。

しかるに原告らは自賠責保険にもとづき金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けたことは、当事者間に争いないので、これを差引くときは原告らはなお各金一、〇〇〇、〇〇〇円宛の請求権を有すると認められる。

この点に関し、原告らは右の金一、〇〇〇、〇〇〇円は被害者本人の受けた精神的苦痛に対する慰藉料請求権に充当されたと主張するけれども、被害者が自身の死亡による慰藉料請求権を取得するということはありえず、また被害者が負傷から死亡までの一八日間多大の肉体的、精神的苦痛を受けたことは十分推認されるところであるが、これによつて被害者が取得したと考えられる負傷による慰藉料請求権は一身専属的性質を有し、被害者の死亡により相続されることなく消滅したと認められるから、いずれにせよこれらの権利に金一、〇〇〇、〇〇〇円が充当されることはありえない。

(二) 前示のとおり被害者の父母である原告らが、被害者の死亡により多大の精神的苦痛を蒙つたことは明らかであり、その慰藉料としては、本件にあらわれた一切の事情を考えるときは、前示被害者の過失を斟酌してもなお原告ら主張どおりの各金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けるのが相当であると認められる。

五、よつて本訴請求は、原告らがそれぞれ被告奥村、同関口に対し各自前項(一)、(二)の合計金二、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する被害者死亡後である昭和四一年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべく、同被告らに対するその余の請求および被告小杉に対する請求は理由なしとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉岡進)

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